自分のこと

スタートライン!

私は小さい頃から一人でした。

厳密には一人ではなかったんだけど、常に孤独を感じていたと言うのが正しいかもしれません。両親も祖母もいたけど、居場所がないと感じていました。話せる同級生は数人いたけれど、それは『友達』ではありませんでした。いつも私は「ひとりぼっち」だと思っていました。

それなのに、なぜ孤独に押し潰されず生きて来られたのか・・それを考えていて最近気がついた事があります。

思い返すと私は小さい頃から物や人に『執着』して生きてきたような気がします。
ハマったマンガやドラマは何度も何度も観て、寂しい時には自分がその世界の主人公かのような感覚になっていました。

ゲームにはまるとひたすらやり込み、ドラクエはクリアするのが嫌でレベル上げをして時間を稼いだり、たまに友達が出来ても距離感が掴めず失敗し、自信を無くす事を繰り返しながら、その場その場に必要な何かに、常に執着して生きてきたのかもしれません。そうする事で、その瞬間・・私は孤独を感じませんでした。執着や妄想の中で私は一人ではない居場所を作ってきました。結局、ただ一人になるのが怖かっただけなんでしょう・・

1ヶ月ほど前、長女から「学校に行きたくない」と言われました。表情も暗く真剣に「行きたくない」と言ったのは初めてでした。

友達とのケンカ。きっかけを作ったのは娘。それ以来色々とイジワルな態度を取られているように感じるらしいです。

本当は何年か前から、学校が嫌で、自分がいる意味が分からなかったり、友達に仲間外れのような態度を取られた事は何回かあったと、でも誰にも相談しなかったと・・初めて私に伝えてくれました。そしてそれを「自分が悪いから」だと・・娘は言いました。

私は今までどれだけ娘の話を聞いてあげていなかったんでしょう・・

「自分の過去に重なる」とか「自分に似ているから」とか言って、娘と私は全く別だと知りながら「分かってるけど出来ない」といつも自分を正当化していました。それは、娘にも「執着」していたんだと・・初めて気付いた瞬間でした。

それからはとにかく地獄の日々でした。

自責の感情が消えず、娘の気持ちを受け止めるだけで精一杯でした。学校での嫌な出来事も何でもたくさん話してくれるようになったけど、そんな娘の苦しさを感じて毎晩泣きました。二人で抱き合って泣いた事も何度かありました。

そんな中・・何が正解か分からず迷ったとき、急にある人が言ってくれた言葉が頭に浮かびました。

その人は過去の私も今の私も「悪くない」と言い続けてくれました。何度ネガティブな発言をしても・・聞くだけで疲れるはずなのに、その言葉を受け止めてくれて。自分自身を大嫌いな私にとって、その人の言葉は正直ピンとこない部分もあったけど・・それでも何度も何度も伝え続けてくれていました。


今までの私なら、娘の心が弱い事が原因だと、それを乗り越えなければ娘が辛い思いをする!と思い、何とかしようとしていた気がします。

でも娘が「自分が悪いから」と言った時・・「いや、娘は悪くない」と思いました。と、ほぼ同時に、その人が私に言ってくれた「あなたは悪くない」という言葉が自分の中にスッと入ってきたような感覚になりました。それは初めて「娘」ではなく「人」として見れた瞬間だった気がします。

そして私がやるべき事は、「何とかする」ことではなく、「娘を認める」ことなんだと・・頭ではなく、感覚で理解出来たような瞬間でした。


段々と娘は変わっていきました。少しずつ自分に自信を取り戻し、自分の弱さを認め、強くなりたいと自分なりに試行錯誤して、学校で毎日頑張っています。
大幅に状況が改善している訳ではないけど・・自分が話せる友達と関わりながら、毎日笑顔で登校しています。

それは私が娘への執着を手放したからなんじゃないかと思います。私が変わったから、娘が変わった・・頭でしか理解できていなかったことが、腑に落ちたように感じました。
そして、そんな私に何度も何度も伝え続けてくれたその人の言葉が、自分の心にちゃんと伝わっていたんだと実感しました。本当に感謝しかありません。

孔子の教えでは15才が志学の時。学を志した青年たちが自分の人生を歩み始める時期です。ちょうど義務教育の終わりとともに、一人で新たなスタートラインに立つ✨

本当なら30年前に私も立つはずだったスタートライン。
ずっと立てずに過ごしてきました。立つことも怖く、一人で走る事が出来ませんでした。

でも私を認めてくれた人の存在が、予定よりも大分遅れたけれど、私をスタートラインに立たせてくれました。

自分の汗で自分を暖め、一人で走り続ける・・あの頃よりもだいぶ体力は落ちてしまったけど、怖いけれど、私は今このスタートラインから、残りの自分の人生を走っていきたいなと思いました。
時には休みながら、スポーツドリンクで水分補給しながら、転んだら立ち上がりながら・・最後には笑顔でゴールするために。