自分のこと

私の心の雨ー高校2年秋ー

今日も雨。私は昔から雨が大嫌い。雨の日は世界が全く違って見えてしまう。

あれは高校2年の秋。色んな辛い出来事が重り、私は、家にも学校にも居場所がないように感じていました。もはや生きてる意味も分からなくなり、生まれてこなければ良かったと心の底から感じ、自分の中では絶望的な出来事があり・・私はその時、未来への希望を失いました。

その日は朝から曇り。いつも通り「行ってきます!」と家を出た私は、登校する学生たちにばれないように、学校とは反対の道に進みました。こんな事をして、厳しい両親にすごく怒られる。先生にも怒られる。でも、もうどうでもいい。私は二度とこの場所には戻ってこないと心に決めていました。
一人で誰も知らないところに行こう。

近所の人通りがあまりない河原につきました。ボーッと川の流れを見ていると、全てがどうでもよくなってきました。
『戻ったら絶対怒られる』『私にはもう戻る場所も、行くところもない』
足を踏み入れたくなり、恐る恐る・・小さく1歩進みました。靴の中に水が入り込み、とても冷たい。分からないけど涙が出ました。もう1歩、もう一歩・・泣きながら私は進んだんだけど、数歩を歩いた先から急に川底が深く流れが速い場所になり・・私は、怖くて怖くてそれ以上進めなくなり、しばらくその場に立ちつくしていました。

『あと2歩踏み出せば全てが終わる。もう苦しまなくていい』
・・でも、当時の私には、どうしてもその2歩が出ませんでした。

と、その時・・ずっと遠くの方から犬の散歩をする人がこちらに向かってくるのが見えました。
『やばい、見つかる!』わたしは咄嗟に川から出て、何事もなかったかのようにその場を駆け去りました。

先に進めなかった・・どこに行こう。濡れてしまって足が寒い。でも警察に補導されて連れ戻されるわけにはいかない!私には戻る場所がない。もうこんな場所は絶対に嫌・・逃げたい。

それから私は泣くのを必死にこらえ、人目につかないような道を選び、いかにも遅刻して学校に向かう、もしくは早退して家に帰る学生に見えるように、考えながら歩き続けました。そして家から少し離れた住宅地にある木材置き場にたどり着きました。基本的に、いつも人がいないのを知っていたので、私はここで作戦を作戦を考える事にしました。

プレハブのような2階建ての建物があり、道路から死角になっている場所に階段があり、私はその階段の下に隠れました。我慢していた気持ちが一気にあふれ出し、どっと涙が出ました。バレないように、声を出さないようにうずくまって泣きました。

そして、これからどうしようか必死に考えました。
大金は持っていない。電車で行けることまで行くとしても制服では目立つ。そうだ、母親にプレゼントのフリして古着屋で安い服を買おうか、でも商店街は補導されるかも・・
そんなことをグルグルと考え、答えが出ずにただうずくまって・・

何時間経ったのでしょうか。携帯もない、時計もない。でも昼を合図するサイレンはとっくに鳴り終わっていました。ここもいつかバレる、場所を変えないと。誰かがどこかから見ているかもしれない。補導されるかもしれない。そろそろ商店街に向かってもおかしくない時間帯かな・・

漠然と、とりあえず電車に乗って出来るだけ遠くに行き、絶対見つからない場所を探そうと・・高校2年生なりに必死に考えました。そしてあてはなかったけど、私は逃げるようにその場から歩き出しました。

ちょうどその時、ベタなドラマのようにポツポツと雨が降り始めました。でも濡れることなんてどうでもよく、焦るわけでも走るわけでもなく・・わたしはそのまま、ただ歩いていました。
間もなく、急に通り雨のように雨が強く降り始めてきたけど、私には、もはや走ろうという意思も気力もなく、頭から足の先までずぶ濡れのままで歩きました。

どのくらいの時間だったんでしょう。強い雨はしばらく続いたように感じました。雨に濡れているうちに、悲しみがどんどん・・びっくりするほど溢れてきて、涙が止まらなくなりました。

『生まれてこなければ良かった・・誰も私を助けてくれない』

何度か歩道で立ち止まって泣いていました。行く当てもなく声を出して泣きながら、ただ雨と一緒に涙を流し続けました。強い雨と雨音が私の涙を隠してくれる・・まるで森高千里の『雨』の歌詞のように、自分の苦しみを雨が流してくれていたかのように・・。

小雨になりながらも雨はやみませんでした。私はただ彷徨っていた・・んでしょう。ここからの記憶は若干曖昧なんだけど・・その時にはもう涙は出でいませんでした。多分、すれ違った人は何人もいただろうけど、誰からも声をかけられることはありませんでした。
その時の私が何を思っていたのか、どこを歩いたのかはほとんど覚えていません。一番適切な言葉が思いつかないけど、気持ちなんてなくただ歩いていたような気がします。1つだけ『今なら川に入れるかもしれない』と思った気持ちだけはよく思い出せます。

・・でも、どうやってたどり着いたのかは思い出せないけど、気がつくと私は学校に来ていました。
職員室の窓から私を見つけた数人の先生方が走って出て来ました。
記憶が断片的で、どの先生が出てきたのかも何人いたのかも、時間も雨が止んでいたのかも全く覚えていません。でも誰かに「よく戻ってきた!」と言われたことと、とても寒かったこと、安堵感があったような感覚は、よく覚えています。

その後私はジャージに着替え、職員室で毛布にくるまりながら暖かいお茶をいただきました。
「親やみんなにこんなに心配かけて」「もっと強くなれ」「大丈夫?」などと言ってくれた先生もいました。私を想っての言葉だったのは分かるけど、その言葉は・・当時の私の心には全く響きませんでした。

でも一人の先生はそうではなく、ただ私の気持ちに寄り添ってくれ、私の味方になってくれました。
その後も私が学校に通えるように、卒業出来るように、たくさんたくさん考えてくれて。今の私があるのは、高校を無事に卒業出来たのは、生きてこられたのは・・その恩師の存在が大きく、本当に感謝しています。

・・あの時になぜ『2歩』が出なかったのかは分かりません。

ものすごい恐怖心が、足を止めたのかもしれません。でも気がついた時になぜか学校にいました。あんなに行きたくなかった学校なのに・・他のどこでもなく、無意識に学校を選んだのは、そこに私を救ってくれる何かがあると・・本能的に感じていたのかもしれません。
そして本当は『生きたい』『助けて欲しい』と思っていたんだなって、今は心から思います。

それから私は「心理カウンセラー」になりたいと思うようになりました。
絶望を感じ、人に命を救われた自分が、同じように絶望を感じる誰かの心に寄り添いたいと思い、そして誰か一人でも命を救えたら・・と思ったことが、目指すきっかけでした。

人生に絶望し『自死』という選択をするほど追い詰められる人がたくさんいて、私のように居場所を見失った子供たちもたくさんいます。
でもそんな時こそ、周りをよく見て下さい。支えてくれている人が必ずいるはずです。『私の周りにはいないよ!』なんて感じている人もいるかもしれません。支えてくれている人がいても、その優しさに気付けないほど、心が傷ついているのかもしれません。

でも、世界人口80億人もいる中で、助けてくれる人はきっとどこかにいます。

まぁ、勉強を全くしていなかった私がそこから学力を巻き返すことは難しく、大学受験は失敗。結果、当時思ったような仕事には就けてないけど、近からず遠からずの仕事をすることは出来ています。
『命』という一番大切なものを救いたいだなんて、私なんかにはそんなに難易度が高く大それたことは出来ないだろうと今は分かります。でも今でも、その気持ちは何も変わってないし、何らかの形で人に寄り添って生きていきたいとは思います。

ちなみに1週間前、その恩師に偶然再会✨20年以上経っても何も変わらずに綺麗な先生を見て、私はすぐに分かりました。勇気を出して話しかけてみると覚えてくれていて、思い出話に花が咲いて🌸本当に嬉しかったな~💛私の娘を紹介すると、本当に嬉しそうな表情で会話してくれました。
卒業式の日、目が合った瞬間に涙が溢れて言葉にならず、お互い何も言えず、ただ私の肩に手を乗せて泣いていた先生の姿を思い出しました。

あの日以来、雨が降ると色んな感情や出来事が頭を駆け巡ります。
でもその多くは、その後の自分ではなく、あのびしょ濡れになって泣いていた瞬間の自分。生きることが苦しくて耐えられなかった自分。消えてしまいたかった自分。時に自分がその場にタイムスリップしたような、その時の自分とリンクしているような、脳裏にその時の場面や苦しかった感情が映像化されたような、その感情に何と名前を付けられるのか分からないような・・そんな感覚になります。間違いなく言えることは、思い出したくもない不快な気持ち。
その回数は大分減ったけれど、今でも雨が降ると、時々思い出して苦しくなることがあります。だから雨の日は気分が優れません。

でもそれは・・あの時の自分の姿を忘れないように、あの日から20年以上も生きて来られたことを忘れないように・・神様が私に与えてくれた『試練』という名の『恵みの雨』なのかもしれないなと思ったりもします。いや、そう思って前に進まなければ・・と、今改めて当時を思い出し、このブログを書いています。