日常

おばあちゃんとの思い出~大好きな手羽先🐔

最近は仕事でストレスを感じ、自分の弱さを痛感していました。今日も泣きそうな気持ちを抑えながら、1日の仕事を気合で頑張って・・

そんな時・・タイミングが良いのか悪いのか分からないが、実家の母親が手羽先を持って訪問!

この手羽先は地元の市場で売られているもので、私の好きな食べ物2位にランクイン✨ちなみに1位はカニ🦀『利き手羽先対決!』をしたら絶対当てる自信があるくらい好きな食べ物

両親が共働きだった私は、祖母に育てられたようなものだでした。それでも超~甘えん坊だった私は、母が仕事から帰るといつもべったりでした。よく祖母に「あんなに日中遊んであげたのに・・」と言われたのを覚えています。でも祖母はいつも私を毎日違う公園へ連れて行ってくれたり、花札を教えてくれたり、大好きな手羽先を買ってくれたりした。

弟が生まれるとき・・私は弟が出来る嬉しさよりも、入院して母が家から居なくなることがとにかく嫌でした!(ゴメン💦笑)
弟が生まれたと連絡が来たとき、「これでママが帰ってくる!」と嬉しく思った事が記憶に残っています。

母が入院していた病院にお見舞いに行ったある日の帰り道・・私は祖母の自転車の後ろに乗って泣いていました。でも昔から家族にも強がっていた当時4歳の私は、祖母が「泣いてるの?」と聞いたのに対して「泣いてない!!」とすっごい不機嫌そうな顔で強く言い放ってしまいました・・おばあちゃん、ゴメン。
その直後、祖母は「食べていいよ✨」と手羽先を私に渡してくれました。自転車の後ろに乗って、祖母の背中を見ながら食べた手羽先は今まで食べた中で一番おいしかったような切なかったような・・忘れられない味。今でもあの道を通ると思い出す事があります。

そんな祖母は腎臓病を患い5年前に亡くなりました。
透析が必要と言われたけど、80歳を過ぎてることもあり本人がそれを拒否・・拒否する事が何を意味するのかも分かっていなかったかもしれないけど・・

デイサービスを使いながら在宅で過ごし、体に水分が溜まると入退院を繰り返し、入院するたびにADLは明らかに低下し・・トイレから食事まで本当に大変でした。特に母は約3年もの間、塩分を抜いた食事を毎食作り、着替えからトイレ介助・・夜は居間で寝て、家を空ける事も出来なくて、誰よりも大変だったと思います。

亡くなる前は5ヶ月ほど病院に入院。ちょうど資格取得のために仕事を退職していた私は、母と一緒に毎日病院へ行き、昼食の介助をしました。
体に水が溜まり内臓を圧迫し、食べることが大好きだった祖母は、ご飯とおかず数口ずつ食べることがやっとでした。体はパンパンに腫れて汗のような水がいつも滲み出ていて・・見ているのが辛く、笑って話しかけることがやっとでした。本人はとてもとても苦しかったと思います。

・・でも最後まで1度も弱音を吐かず、私や弟、父のことを心配してくれました。8月13日ゼリーで窒息しかけ、医師から「食事を止めます」と言われました。

その数日後には大親友の結婚式で東京へ行く予定がありました。彼女に出会ったことが私の苦しい人生の転機でした。そんなに大好きな親友の結婚式を心から楽しみにしていた私だったけど、本当に悩んだけど結婚式をキャンセル。
8月15日祖母が亡くなりました。亡くなる数時間前、母が私に30000円を手渡してきて、意味わからなくて拒否する私に母がこう言いました。

「○○(親友)の結婚式に行かせられなくて、おばあちゃんが誰よりも申し訳ないと思ってるはずだから、おばあちゃんの代わりに新幹線代として渡すね」

と。涙が止まらなくなりました。間違いなく祖母はそう思っていたでしょう。私と弟のことを誰よりも可愛がってくれた祖母。いつも私たちの幸せを一番に考えてくれていました。

今でも私たちを守ってくれていると感じることがあります。
苦しいとき、私はいつも心の中で祖母に話しかけます。そして「こんな孫でごめんね」といつも謝ります。だけどいつも祖母が「そんなことない!」と言ってくれている気がします・・

今日もこの手羽先を食べながら・・明日からまた頑張ろうと思いました。

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