子供・子育て

天国と地獄のスプーン

私はよく娘たちに「クイズ!」と称して、社会や心の問題についての道徳授業を勝手に行っている。笑
娘たちの疑問や私が考えて欲しいと思ったことについて、自分で考え自分なりの答えを見つけて欲しいからだ。最近で一番充実した授業は、環境問題をテーマにした「稲わら焼き」についてである。子供たちは地球温暖化の怖さを知り、わらの活用性についてを考え・・わら人形や草履、服、鞄などを作ればいい!という彼女たちなりのアイディア満載な答えを導いていた。

今日も朝から喧嘩が始まった。一人は一緒にゲームをやりたい。一人は違うことをしたい。どっちも自分の思いを曲げようとしない。それどころか、怒ってでも自分の気持ちを押し通そうとしている。最近こんな喧嘩が多くなってきた。成長過程で大事なことではあるが・・もう少し相手を思いやる気持ちを持って欲しい!私の授業意欲に火がついた。

今日のテーマは「天国と地獄のスプーン」
この話は、原典は不明だが仏教の「地獄と極楽の箸の話」が元になっているなどと言われていて、世界中で語り継がれているようだ。その土地によって箸がスプーンになっていたり、食べ物が違っていたりするらしい。今回は自分が昔聞いた「天国と地獄のスプーン」の話として子供たちに話した。

地獄の人たちは片手を椅子に縛られ、もう片方の手には長いスプーンを巻き付けられている。テーブルの上には豪華な食事が並び、人々はみんなが同じようにテーブルを囲んでいる。だがスプーンが長すぎるため、食事を口に運ぼうとしても上手く届かない。食事が食べられない人々は痩せてしまい飢餓に苦しんでいる。
一方で天国の人も全く同じ状況でテーブルに座っている。彼らは長いスプーンを上手に使い食事をして、みんなが幸せに暮らしている。
それはなぜでしょうか!?というのが、今回のクイズである。

ちなみに何が違うのかというと、天国では長いスプーンを使い、お互いに食事を食べさせ合っているのである。自分の事だけではなく、他人のことも考える・・そうすると自分も幸せになれるという話である。

クイズが始まると早々に1年生が答える。
「分かった!スプーンを短く持った」
4年生がすかさず
「縛られてるんだから無理でしょ」
すると1年生は
「じゃ、テーブルからめーっちゃ離れたんじゃない?」
さすが1年生。色々な視点がある。

4年生が言った。
「みんなで協力し合ってるんじゃない?」
さすがはもうすぐ5年生。では具体的にどのように協力し合っているのか聞いてみると、「う~ん・・」と考え込んでしまった。
その後も珍回答が続いた。なかなか「食べさせ合う」という発想が出なかったため、一旦視点を変えてみた。
「なぜ地獄の人たちは誰も食べられなかったのか」「お腹が空いているのに食べられない時にはどんな気持ちになるか」という事を考えてもらう。
「自分の事しか考えてない」「自分がよければいいという考えだった」「食事を独り占めしようとした」・・うん、良い感じ。あと一息!
「お腹が空いてるとイライラする」「イライラすると人に当たりたくなるよね」「どんどん自分勝手になっていくよね」etc・・たくさんの意見が出てくる。
そんなことを繰り返す中、4年生が言った「分かった!隣の人に食べさせてあげればいいんだ!!」

自分の思い通りにならない、やりたいことが出来ない状況がある。そういう時に人は苦しみから逃れようと必死にもがき、どうにかしようとする。「飢餓」に似た状態である。そんな状況が続くと人は不満、恨み、妬み、愚痴などを口にする。
現代は「相手を思いやる」ことで自分が傷つくことがたくさんあるような世の中である。でもみんながあと少しずつでもその気持ちを持っていたら・・もう少し生きやすい世の中になるのではないかと思う。せめて自分の子供たちにはそんな風に育ってほしい。そして「相手を思う」ことが自分の幸せに繋がるということを、いつか感じて欲しい。

その後、娘たちは再び一緒に遊びだした。お互いがやりたいものを順番でやり、二人で時間を決め、時には相手の意見を尊重しながら・・
と言っても、きっと数時間後には喧嘩が始まるだろう。それでも「食べさせてあげる」という考えにたどり着いた彼女たちならば、きっといつかそれぞれの答えを見つけていけると信じたい。