感じたこと

金八先生の名言『人という字は・・・』

「人という字は、人と人が支え合って生きている姿を表したもの」
私の人生の恩師、坂本金八先生の有名な言葉。笑
私は金八先生が大好き・・いや、「好き」という言葉が適切なのかは分からないけど、私の人生に、絶対なくてはならない存在!笑。

でも初めてこの言葉を聞いた時、まだ10代だった私は「またそんなきれい事言って!」「魂胆が見え見えなんだよな」なんて、金八先生に対して反抗的な態度でした(笑)
もし現実に金八先生にそう言って反抗したなら、どういう答えが返ってくるのかとてもとても気になるところだけど・・・。

ずっとこの言葉の意味を考えていました。「人と人が支え合う」とは何なんだろう。

『人』という漢字が出来た紀元前は今のように複雑な社会ではなく、人々はきっと毎日を生きることに必死だったんだと思います。
狩りや漁をして、木の実や果物、山菜などを食べる。医学や科学は発展してなくて、毎日を生きることに必死・・そもそも大人になること自体が難しい事だったのかも。だとすれば、毎日を生き延びるためには人と人が支え合うしかなかったのかなとも思います。

マズローの「欲求5段階説」を借りるとしたら、「生理的欲求」「安全の欲求」・・いわゆる物質的欲求が満たされていないから、それ以上の欲求まで感じなかったかもしれません。

現代は医学も科学も発達して、ライフライン、車や電車などが普及し、食事や衣類はすぐ手に入り、とっても便利で生活しやすい・・。
物質的欲求が満たされているから「社会的欲求」「承認欲求」「自己実現欲求」・・精神的欲求に目がいきやすく、人はそれが満たされないと嘆く・・

でもそれは、毎日を生きることに必死だった紀元前の人たちからみると、とても幸せなことですよね。

それなのに私たちは、マウントを取ったり人を騙したり・・自分目線でしか物事を考えない人が多いような気がします。
「人のために」と言う人も結局は自分のためであり、自分を正当化しているように感じる事が・・自分を含めて多々あります。

衣食住が潤い、医学が進歩し、明日生きる事への不安なんてない。世界中の人々が幸せに暮らせるだけの資源はあるはず。それでも・・今日を生きる事すら不安や苦痛を感じる人たちがたくさんいて。

こうしている今の瞬間にも、世界には常に「死」を感じるような絶望や恐怖の中で、私たちには想像も出来ない状況で・・生きることを諦めない人たちがいるかもしれません。
それなのに、自分の事しか見れていない今の自分は、本当に申し訳ないような気持ちになります。

だけど、その・・誰かを苦しい状況に追い詰めた原因が、他の誰かの「欲求」なんだとすれば・・私にはもはや何が正しいのか分かりません💦

「人と人が支え合う」というのは本当の意味でどういう事なのか、このブログを書きながらも混乱し、答えは出ていません。

でも「人」という字を生み出した時代を生きた人たちも、毎日を「自分」が生きるために他人と支え合っていたのかもしれません。
だとすると・・やっぱり人の本質的な部分は何も変わっていないのかなと思いました。

何より大事なのは、まず自分の欲求が満たされ、自分が幸せを感じる事。そうしないと、本当の意味で他人を思いやる事なんて出来ないんじゃないかと・・漠然と思ったりしています。

そして金八先生は、最初の言葉にこう続けます。

「人と人が支え合って人なんです。人は人によって支えられ、人の間で人間として磨かれていくんです」

どんな風に磨かれ、どんな人間になるかは出会った人次第。その磨かれた人間がこの世界を作っていくんだよな。そう思うとやっぱり「人と人が支えあう」ことの意味をもっと追求する必要があるな~と思います。

もしかしたら、死ぬまでに自分が納得する答えは出ないのかもしれません。だけどその答えをこれからもずっと考え、探し求めていきたいな。こんなに人生に必要なテーマを考えさせてくれる金八先生が、私はやっぱり大好き🧡

・・ちなみに「人という字は、人と人が支え合って生きている姿を表したもの」というのは間違いらしいです!!何年か前に武田鉄也さんがテレビ番組で言っていました!😆
「人」という文字は甲骨文字で、立っている人間を真横から見た形なんだって・・笑

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